2014年3月31日月曜日

明治大学 小室慶太


『気遣いから生まれる政治』
 

大学に入って初めての夏休み、私は本橋先生事務所で研修をさせていただいた。この研修に参加しようと思った理由は、二つある。一つは、地方議員の仕事の概要を知りたかったからということだ。メディア露出が多い国会議員の仕事はある程度知っていたが、地方議員はどんなことをするのか、この研修をするまで検討がつかなかった。二つ目は、このままたいした社会経験もなく、大学4年間を過ごし就職活動を迎える自分に漠然とした不安を感じたからということだ。どのような職業に就きたいかもいまだ明確に決まってない自分に何かきっかけを与えることができれば、と思い豊島区議会議員本橋ひろたか事務所の扉を叩いた。

 結果、私の2ヶ月はかなり実りあるものとなったので、研修を終えた今満足している。本橋先生に教わったことの中で特に印象に残っていることは、「人を気遣う姿勢」である。新聞配りのとき、ただ配ればいいと考えていた私は本当に浅はかだった。つまり、配るだけで自分の義務を果たせると思っていて、もらう人(有権者)の気持ちを考えていなかったのである。そんな私とは対照的に本橋先生は、判子を押す位置や新聞の折り方、渡し方などを全て意識し、それをもらう人がどう思うかということを考えていらっしゃった。こうやって細かいところまで人の気持ちを斟酌することが、地域住民の声を吸い上げてより良い政治を行うためには必要なことなのだと痛感した。

 また長崎神社祭礼の正担当者になった私は、高松三丁目に住む人々とのかかわりが多く、祭礼当日では接待も行なったため、上記のような「人を気遣う姿勢」を身につけるいい機会となった。
年が30才以上離れた住民の方々と打ち解け、ともに仕事をする経験など今までなかったため、かなり難かしい研修であった。常に、「次に自分がどんな行動をとるべきか」と考え、住民の方々が祭礼を楽しむことができるよう行動することを心がけた。つまり、「人に気遣う姿勢」を貫いたのである。そうすると意外なことが起きた。住民の方々が私にも楽しんでほしいと食べ物や飲み物をくださったのである。私は、この住民の方々からのお返しを自分が「人を気遣う姿勢」を貫いたおかげなのだと感じた。すなわち、人に対して「おもてなし」の対応をとり続けるとそれが返ってくるのである。逆にいえば、適当にやっている人間にはなんの対価も与えられない。至極当然のことであるが、このことに気づけたのは、私の2ヶ月間の中でもかなり大きな収穫であったといえるだろう。人と人の関係はgive and takeであり、相手から何かを貰いたい時は、まず先に自分が相手に利益を与える必要がある。社会ではこのルールが徹底されているのだ。人を動かしたければ、自分がその人にとって有益な存在になる必要があるということを身にしみて実感した。

 最後になってしまったが、二ヶ月と短い間だったが、本橋先生にはたいへんお世話になった。また祭礼や盆踊りが開催されるのであれば、ぜひ参加したいと思う。だがそのときは、今以上にもっと人に対して気遣いができる人間になっているつもりだ。
 
 
 
         「政治問題とその改善のために私ができること」
 日本人は政治に関心がなく、投票率が低い。これは、長年言われ続けてきた問題である。比較的投票率の高い北欧の国々では8割以上の人が国政選挙で投票しているのに対して、昨年末に日本で行われた衆議院議員選挙の投票率は、戦後最低の59.32%だった。つまり、10人に4人が投票を放棄しているのだ。
しかし、この「投票率の低さ」という問題は、もっと大きな社会問題によって引き起こされたにすぎないと私は思う。すなわち、それは「国民の意志(民意)と政府の意志が噛み合ってない」という問題である。この問題について例を挙げて説明しよう。今回の本橋ひろたか議員の下でのインターン中、私は母子家庭を支援している社会福祉法人の施設を見学した。そこはかなり充実した設備を持っているにも関わらず、空部屋が存在した。施設の管理者は「もっと新しい住民を増やしたいのだが、行政とのパイプがなく、困っている母子にこの施設を紹介してもらえない」と語っていた。これは、為政者が国民の考えていることを理解できていないということだ。つまり、政治に民意を反映させることができていないのである。反原発を願う人が多いにも関わらず、一部の財界人の意見を尊重して原発の再稼働が閣議決定されたりと、他にも国民の意見と行政の意見が噛み合わない事例が日本にはとても多い。
なぜ日本では、このように国民(地域住民)と政府(政治家)が噛み合わないのだろうか。その原因は、両者の距離が遠いことにあると私は思う。いくつか例を挙げてみよう。
一つ目は、戸別訪問についてだ。選挙中、有権者に直接会ってその意見を聞くことは、非常に大切なことだ。世界の民主主義国家の中で選挙中の戸別訪問を禁止している国は、ほとんどないにも関わらず、日本では公職選挙法第138で禁止されている。これでは、国民の小さな声を吸い上げることなど到底できないだろう。オバマの選挙活動に参加し実際に戸別訪問を行なった明治大学の海野教授は、次のように語っていた。「アメリカの国民と政治家は、お互いに意見交換する機会を設けているという意味で双方向のコミュニケーションがとれている。それに対して日本の場合は、政治家が選挙カーに乗って自分のマニュフェストを宣伝し、人の集まる駅で街頭演説をするだけ。結局これは、政治家から国民への一方的なコミュニケーションになっていて、国民は政治家によって提案された政策を選ぶ権利しか与えられていないのだ。そうなれば自ずと、自分が真面目に政治を考えても仕方ない、という考えが社会にはびこることになる。」
二つ目の例は、ソーシャルメディアの利用方法である。昨今ではTwitterFacebookなどのSNSがスマートフォンとともに普及した。これらを利用して政策や議員の活動をアピールすることが、これからの政治家にとって重要な課題になってくるはずだ。しかし、日本の政治家はこのSNSをいまひとつ利用しきれていないと私は思う。なぜならSNSの「直接会わずとも意見の交換ができる」というメリットを利用していないからだ。彼らは、自分の政策を宣伝したりはするものの、それに対する読者のコメントに返信することが極端に少ない。一部「ツイッター議員」と呼ばれる人の中には、きちんと国民のコメントに返信をする人もいるが、返されるコメントの数は限られている。結局、このSNSを利用しても一方通行のコミュニケーションが行われているのだ。この日本の状況と正反対に位置するのがアメリカのオバマ大統領である。彼は、選挙対策委員の中にネット担当の班を作り、オバマのSNSアカウントに寄せられる質問や批判に対して次々と答えていったのだ。その甲斐あってか、前回の選挙では見事勝利を収めることができた。
以上のようにみてみると、日本の政治は、議員から国民への一方通行のコミュニケーションになってしまっているということが分かる。これでは、民主政治として問題があるし、この状況を改善するにはどうしたら良いのか。
そのためには、政治家と地域住民が政治以外のことにおいても関係を持ち、真の意味での「人間関係」を形成することが必要なのではないか、と私は考える。今回のインターン先の本橋事務所では、その良い具体例を見ることができた。私のインターン先の本橋先生は自分の周りに住む人たちの名前を覚え、道端で会えばその人の体調を気遣ったりしていた。他にも地域の行事(盆踊りや祭礼)などにも積極的に参加し、その運営を中心となって行なったりしていた。そこでの人間関係は、「政治家と住民」という関係ではなく、「人と人」の関係であった。綺麗事かもしれないが、今の日本の政治不信という状況においてはこのような政治的利害が介在しない人間関係が必要なのではないだろうか。人は信用できる人にしか本音を話さないし、逆に信頼している人の意見は積極的に聞こうとするはずだ。
このような政治家と国民の信頼関係を形成するのに私が残りの大学生活で何ができるだろうか。こう考えようとしてみたものの、大学生一人にできることなどたかが知れている。一人では政治、世の中を動かすことはできない。だから、大学の友人など私が関わりを持つ人間に対して、上記のような話をしてみると良いのかもしれない。同じような意見をもった人が増えれば、政治を動かすことができる。また、今後も政治学を研究して、学問的な見地から物事を考えられるようにするということも大切になってくるのだろう。そうすれば、私はまた何か新しい解決策を思いつくかもしれない。
二ヶ月という短い期間だったが、大学一年の間にこのような体験ができたのは私にとって大変有益なことであった。今後も日本の社会問題について考え、そして発信していきたい。

 

0 件のコメント: