2014年4月1日火曜日

中央大学 大島宏介



「議員」と「市民」。
  そこには小さくない壁を感じてきた。
言ってしまえば「議員」は特別な人で、「市民」とは違う人種とまで思っていた。しかしそれは当然おかしなことで、民主主義の構造上、議員は庶民の代表であり、庶民の声の代弁者であるべきなのだから。だが、20歳となり選挙権を得たことで、私の政治への意識が高まり、そういった論理を理解していても感じてしまうこの障害の認識を変えたくなった。

政治家、特に国会議員は普段の生活の視点から言えば、新聞の文字やテレビのニュース、ワイドショーで目にする、いわばテレビタレント同然の位置にある存在であった。実際に目にするのも選挙活動やビラ配りくらいのもので、他にどういった活動をしているのかなんて想像もできなかった。だから、区議会で党幹事長をしている議員さんが地元の夏祭りの手伝い・裏方仕事をしているなんて思いも寄らなかった。

振り返ってみると、今回のインターンの最初の驚きは、本橋議員に初めてお会いした面談のときのことであった。「議員事務所」。この言葉から皆さんはどういった建物、部屋を想像するであろうか。私はテレビドラマのような、無機質にきちんと整った部屋を思い浮かべてしまっていたのだが、その予想はいい意味で大きく裏切られることとなった。本が壁一面の棚に並べられた和室。たったこれだけのことではあったが、私と「議員」の間の壁はそのときから少しずつ薄くなり始めていた。

今回のインターンでは多くのことを経験させていただくことができた。議員の方々が主に使用する区役所のフロアを案内していただけたり、普段は行われていることすら知らないような、しかし重要な協議会を傍聴させていただけたり、町内会夏祭りの運営側のお手伝いをしたり、また、より政治的な活動としては街頭演説でのビラ配り、ポスター貼りのお願いに回ることなど、日常生活では遠い位置にあったさまざまなことを経験した。

そして、それらのことから私は多くのことを学んだ。
とても原初的な、隣人との関係・隣人への気遣いが政治という局面においても重要視されていることには驚きを感じずにはいられなかったし、またビラ配りやポスター貼りでは、今までは受け取る側・お願いされる側しか知らなかったが、手渡す側・お願いする側を経験できたことはとても貴重な体験であった。また、必要とされるマナーや言葉遣いはそれなりに自信があったのだが、その自信が打ち砕かれたことは就職し社会人になることを一年半後に控える僕にとって非常にありがたいことであった。

ときどきではあるが、本橋議員と直接お話を出来たことも貴重な経験であった。
一番心に残っている言葉は、これは面談後の言葉だったと記憶しているが、本橋議員の事務所の本の多さについて私が話した時に、演説等をする際の知識量について本橋議員が語ったものである。「ああいうところで話すのにはしゃべっている内容の10倍の知識がないとしゃべれないんだよな。」この言葉は常日頃、自身の知識の不足を嘆いている私にとっては大変な驚きであったし、過密な日程の中、徹夜で作業することもあったようでしたが、いつそういった膨大な量の本を読んでいるのか不思議に思い、また若い頃からの積み重ねの賜物なのかなと感じたことを覚えている。

「議員」。
私はこの言葉に以前ほどの壁を感じなくなった。
これが今回のインターンの一番の収穫かもしれない。これから先、私がどういった形で政治と関わっていくのかはわからないが、今回の貴重な経験が私の糧となり、「政治」「議員」というものを考えていくに当たって大きな役割を果たしていくことになるであろうことは自信を持って、言える。

早稲田大学 前田雅貴


「本橋議員の下でのインターンシップを振り返って」


  約2ヵ月間、私は自民党の豊島区議会議員である本橋弘隆議員の下でお世話になった。その議員インターンシッププログラムを通して私が成し遂げようとしたこと、それは、社会人として責任ある行動をとれるようにすること、そして、自分の将来の夢をより明確化、具体化していきたいという二点である。
 私は将来、地方公務員として、地域の人々の日々の生活を豊かにすることのできる社会人になりたいという夢をもっている。そのために、自分には一体何が欠けていたか。それは、タイムマネージメント力、自己管理能力といった責任ある社会人として不可欠な力を持っているという自信、また、地方行政がどのように形のあるものになっていくのかという、現場の状況の把握という二点であった。そこで、その欠点を解消すべく以上の二点の目標をたて、議員インターンシッププログラムに臨んだのである。

 プログラムを通し、二点の目標を成し遂げることができたのであろうか。私は、ある程度達成できたと感じている。この2ヶ月間にはさまざまな活動を行った。豊島区の放置自転車海外譲与事業の拡大プランを策定、英訳すること。自民党豊島区議団の遊説活動に参加し、自分も若者の一代表として、街宣車上で演説すること。地域のお祭りなどの準備会議に代理出席したり、準備を手伝ったりすること。小池百合子議員の総裁選対策を手伝ったり、ポスター張替え、新規開拓に東奔西走したりすること、など挙げ始めたらきりがないほどである。
 特に、最初にあげた放置自転車の拡大プランの策定、英訳では、責任者として職務を任され、多くのインターン生とともに、上記プランを完成させることができた。その過程では、自分だけでなく、上記プラン策定チームに入ってくれたインターン生のタイムマネージメントをする必要があり、タイムマネージメントをしながらプランを完成にこぎつけていくことができたことは、大変大きな自信となった。また、豊島区役所の担当者である土木部交通安全課課長に、プランの策定のために大変お世話になったことで、公務員の方々の仕事ぶりを知り、政策を実現化していくために公務員や政治家の方々が、どのように活動しているかを肌で感じることができたことも大きな財産となった。

 しかし、前者については目標達成度に不満もある。プログラム中、何度か本橋議員の代理として会議などに出席させていただく機会があったが、代理人としての責任を完全に全うできたとはいえないからである。初めて行く場所のため、戸惑ってしまい、挨拶すべき企画代表者とは別の方に最初に挨拶してしまったり、誰がどういう立場でその場所にいて、何を考え、何を誰と話しているかなど、知りえる情報を収得しきれなかったりなどあった。この点が、私が掲げた目標で達成できなかった点であろう。

 以上のように、プログラム前にたてた目標について、達成できた点と達成できなかった点があるわけだが、それ以外にも社会人として自分にまだ足りないものを発見させられることとなった。それは、人と人をつなぎ、それを形のあるものとし、目標へと向かわせていく力である。
 上記プランの策定のために私は、多くのインターン生を巻き込むことで、一人では成し遂げることのできないものを作ることができたとは思う。しかし、それは本橋議員がさまざまな機会をセットアップしてくれたからであった。たとえば、放置自転車海外譲与事業について無知な私たちのために、交通安全課課長からの勉強会の機会を設けてくれたことなどである。
 また、街宣車上で演説をした折にも、私たちと聴衆を結び付けることのできるようなスピーチを私はできたとは、とても思えない。
 つまり、私に足りない「人と人をつなぎ、それを形のあるものとし、目標へと向かわせていく力」とは、周りの人を巻き込むことのできるその人の魅力、表現力、今まで培ってきた縁、人間関係などであると思う。その優劣がストレートに出る場所が政治であり、それは政治以外の社会でも言えることであると思う。
 そこで私は、今後日々生活していく上で、プログラム前に立てた目標二点とともに、「人と人をつなぎ、成果を挙げていく力」を身につけていくためにも、周りの人を巻き込むことのできる力、表現力を磨いていけるよう、日々努力していくことを目標として掲げたい。
 また縁、人間関係を大切に日々生活していこうと思う。

 最後に、約2ヶ月間お世話になった本橋議員や陰で支えてくださったドットジェィピーのスタッフの方々には、感謝してもしきれないほどである。さまざまな成長の機会を与えてくれ、また政治、行政がとても身近に感じられるようになりました。

本当にありがとうございます。

国際基督教大学 高島幸之介


「地方議員とは~本橋弘隆事務所での体験を通じて~」
 
      

  「どんなに小さなことでも注意してよく見て考えなさい。」
 これが、私が本橋先生の下でインターン生として活動を始めてから、初めてご教示いただいたことでした。それは当たり前のことでありながら、私が日々の生活の中で行えていなかったことだということに、その時気づきました。
 今になって考えると、これには国会議員に比べ地域により近いところで住民に支えられている存在である地方議員として、日々住民とのコミュニケーションを深め、彼らが生活の中で何に悩み、何を必要としているのかを会話の中からだけではなく、地域をよく「見る」ことで住民の「無言の声」をすくい取って、それに応えるよう努力する、という本橋先生の哲学が根底にあるのではないかと思います。
 また、ある日には、「特に地方政治とは、日々の行いを通して大多数の中間層の住民から、いかに支持を得られるかが重要だ」と、この様に仰っていましたが、ここにもその哲学を見出すことができます。

  今回、私がこの議員インターンシップに参加したのは、長い海外生活から帰国して、自分が日本の政治についてほとんど無学で、国または地方の政治的意思決定に携わる有権者の一人として、危機感を覚えたからです。
 これまで私は、海外の学校の市民教育の一環として、選挙の際の情報収集の仕方や、自分の指示する候補者を巡って討論なども経験してきましたが、日本における選挙制度や政治のあり方などには殆ど触れていませんでした。
 そこでこれを機に、実際に政治家の活動に身を投じて政治の中からその世界を体感すれば、メディアを通して得た政治のイメージとは違った角度から政治を考え直すよい契機になるのではないかと考えたのです。

  実際に活動を通じて実感したことは、地方議員の活動というものが、メディアなどでよく目にする国会議員のそれと比べ、予想以上に地道で泥臭く、かつとても人間味のあるものだということでした。たとえば、地元の盆踊り大会の際の町会や自身の支持団体などに対する協力や気配りなどが挙げられますが、この様な住民との地道なコミュニケーションや人脈作りを通じて信頼関係を築くことが、双方にとってWIN-WINの良い関係となり、より良い地域環境の構築という相乗効果へと繋がっていくのだと実感しました。いかに他人を気遣い、思いやり、為になれるかが、政治家としてだけではなく、社会の一員として必要な心構えなのではないかと思いました。

  また、地元のマンション建設計画についての評議会においては、区の職員や区議会議員のみならず、町会・自治会の人々や専門家なども議論に参加し、直接に政府と行政に意見を述べている光景を見て、この様な地域のあり方について政府や行政に働きかけることのできる場があり、市民としてこうした活動を行っていくことも重要なのだと感じました。
 それと同時に、それまで遠い存在であった政治の世界を、より身近なものに感じることができました。

  2ヶ月という短い期間でしたが、本橋先生の下での活動は、政治についてだけではなく自分についても考え直す良い経験になりました。これまで気付いたり学んだりしたことを実際に率直に行動に移せるかはまだまだ難しいところですが、この貴重な体験を忘れずに、これからの様々なことに気を配りながら日々生活していこうと思います。

  今回大変お世話になった本橋先生、自民党豊島区議団の先生方、小池百合子事務所の方々、高松町町会の方々、ならびにI-CASの方々には、貴重な体験をさせていただき、心から感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

2014年3月31日月曜日

中央大学 白倉隆之介


「研修生活動を終わって 後に続く皆さんへ」
 
 本日は,私が研修活動(議員インターンシップ)で学んだこと・感じたことなどをご報告させて頂きます。特定のイベントの報告というより,研修内容の全体的な話が中心になるので,他の皆さまとは少し違ったスタイルになるかと思いますが,どうぞ最後まで目を通して頂ければと思います。
 

 まず,私は,今回の研修活動に参加するにあたって,自分自身の中で,三つの目標・目的を立てました。一つ目は,議会における議員と理事者(行政)の関係を,議員研修生という立場から感じ取るということです。
 二つ目は,議会が,どのような手続きを踏んで,どういった形で運営がなされているのかを学ぶということです。というのも,私は,現在,大学において地方自治論を専攻しているのですが,教科書で学ぶフレーズや専門用語は,何度読み返しても,どうもぼやけたままでした。ならば直接,議員の先生の下で,肌で感じて学び取りたいと思い,参加を決意しました。
 そして,三つ目には,議員紹介用のパンフレットやHPにおいて,本橋先生が「保守」というものを,人生をかけて追求されている議員さんであることを伺い,自分も,若輩者ではありますが「守るべきもの・変えるべきもの」を,この研修活動の中で少しでも見つけたいと思い,このことを目標に掲げました。

 初めて,豊島区役所に研修に伺った,2月14日は,4階のフロアマップを指さしながら,本橋先生から直接、区議会の案内をして頂きました。

「ほら,会派によって控え室の広さが違うだろう。」

「自民党豊島区議団は最大会派だから,一番大きい角部屋,その次に公明党,共産党

「この世界では,数は力で,数が集まらなければポストも与えられないんだ。だからこうやって会派を新しく結成したりするんだ。」

生まれて初めて政治の世界に足を踏み入れた私にとっては,とても印象的な言葉が並びました。

「猿は木から落ちても猿だが,代議士は選挙に落ちればただの人だ。」これは,かつて自民党副総裁,衆議院議長などを務められた,大野伴睦先生が残してくださったお言葉です。 高校時代,政治経済の授業の雑談で,教科担当の先生がこの言葉を教えてくださった時は,「へぇーなるほどなぁ。」と思うくらいでしたが,いざ,現職の議員の先生からそのことを言われると,大変な重みがあり,議員の先生方はまさに日々が戦いなのだなと感じました。

 2月17日からは,主に議会(本会議・委員会)の傍聴をしました。本会議場の全体像と,その時の私の様子をお見せできないのは残念ですが、私は,先述した目標の一つ目と二つ目の「答え」を自分なりに見つけたいと思い,傍聴席から誰よりも熱い視線を送ることにしました(傍聴席は,本会議場の2階席にあたり,4列になっています。議員席は48席ありますが,現在,定員は36にまで削減されており,空席が目立ちます。また,本会議場の正面の日本国旗は本橋先生はじめ自民党区議団の先生方が奮闘され,ようやく飾られることになったそうです。神聖な場にふさわしい姿に身が引き締まりました。)

 21日と22日両日の本会議一般質問では,各会派と行政側の距離感を推し量ることが出来ました。質問の内容・中身はもちろんですが,口調,語尾,態度など,会派ごとに様々な特徴があり,とても興味深かったです。
 また,ある党の一般質問が始まると,急に傍聴者の人数が増えたり,別の党になると傍聴者がまるっきり入れ替わったり,支援者と議員の距離が近い,区議会ならではの傍聴席の動きというものも注目に値するものでした。

そして,この時,初日に本橋先生から「区議会議員36名の,顔・名前・会派・所属委員会をなるべく早く暗記せよ。」と言われ,必死になって覚えた理由が分かりました。
確かに,顔と名前と会派を覚えていれば,「この人の所属会派は,○○党だから,このような内容と口調になるのだな」ということが直ぐに理解でき,その後の理事者答弁の大まかな方向性と展開も読むことができます。すると,聞いていて飽きることがありませんから,有意義な時間を過ごすことができます。本橋先生は,そういうところまでをしっかりとお考えになって,私たち研修生に指示を出して下さっているのだなと改めて実感しました。

 3月に入り,第一週は,予算特別委員会が開かれ,区分ごとに活発な議論が交わされました。この際,議員の先生方と理事者の方々の距離感はどうか,というところを注意深く観察していたのですが,しっかりと中身のある答弁をしている理事者に対しては,議員がむやみに問い詰めるということもありませんでした。傍聴する前に抱いていたイメージよりも,両者は「区民のために」という思いで,決して対立関係ではなく,かといって馴れ合いでもなく,適度な緊張感を持ちながらの「協力関係」にありました。

また,質疑の中身も「○○通りの○○交差点で」「○○小学校のスクールバが・・・」といった,豊島区民の自分も通ったことのある,あるいは耳にしたことがある固有名詞が多く出るなど,これまた当初思っていたよりも身近で,政治と暮らしは,乖離しているものでなく,繋がっているということを感じ取ることができました。
 

 予算特別委員会を傍聴して,学んだこと・感じたことは多々あるのですが,その中でも印象的だった3月8日のエピソードを紹介させて頂きます。

3月8日の予算特別委員会では,「文化商工費・教育費」についての質疑応答がありました。その中で,ある会派の議員から,「豊島区はICTInformation and Communications Technology)教育に力を入れており,電子黒板や実物投影機の導入も,23区内ではトップクラスの早さです。我々会派としても,今後もさらに推し進めていって頂くことを期待します。」という発言がありました。
私もこの議員の発言に賛同したので,お昼休憩の時に「豊島区は先駆的で素晴らしいですね。」と先生に伝えました。
 すると,本橋先生は,「確かに便利にはなった。しかし,視覚に訴える部分が強くなりすぎると,教師のもつ人間性という部分が見えなくなってしまうんだ。人間教育という部分だね。この政策は良いなと思って,直ぐに飛びつくのではなく,その裏に隠されているものを考えないとだめだよ。」とおっしゃいました。

この時,ハッとしたのを今でも覚えています。まさに,先生が議員活動,そして人生をかけて追求され続けている「保守」という考え方の一端にふれることができた瞬間でありました。物事を表面的にとらえて流すのではなく,しっかりと本質に迫って,そこから何時の時代であってもぶれない「正論」を導き出していく。この思考過程の訓練が,今の自分には不足しているなということに気づかされた瞬間でもありました。

 3月22日の本会議並びに総務委員会では,自民党豊島区議団の竹下ひろみ先生より,議員提出議案の説明がありました。この提案は,平成24年6月支給の期末手当の額を減額するという改正条例案で,議員自らが身を削って,区民に覚悟を示すという意味では,とても良い提案だと思いました。議会の大きな役割の一つである,「政策形成機能」を肌で感じることできました。今後は,より広い分野で,この機能が発揮できるよう,区議会の先生方の更なるご努力に期待したいです。そして私も,地方自治を学ぶ人間の一人として,そのあり方を,残りの大学生活の中でしっかりと学び,考えていきたいです。

 今回の研修活動(議員インターンシップ)は,つごう10日間余りの参加でしたが,将来,行政の道を志す私にとっては,現職の議員の先生が,どのような議員生活を送り,また行政とはどのような関係にあるのかを知ることができ,とてもためになる経験をさせて頂きました。

そして,それだけにとどまらず,本橋先生は,これから社会人として私が生きていく上で必要な,マナーや礼儀も教えてくださいました。先生曰く「君たちよりも先を生きてきた人間として,躓きの石を取り除いてあげたい。」ということで,大学生になって親元を離れると,ここまで自分のことを気にかけてくれる大人はそうそういないものですから,先生からの叱責には「故郷の父親」のような愛情さえ感じました。また,先生のスマートで機敏な振る舞いを間近で拝見して,自分はまだまだ甘いなということを痛感しました。その機敏さの一方で,先生の振る舞いには,常に,相手への思いやり,気配りがこめられており,この心こそが,日本人としてこれからも持ち続けていくべき美徳であるのだと思いました。
 加えて,社会人としての,「報告・連絡・相談」の重要性も身をもって学びました。私のたった一回の報告忘れが,多くの方の貴重な時間を割くことになってしまい,ひいては信頼関係をも壊してしまうということに気づかされました。このようなことは,普段大学の中にいると,「言わなくても通じているだろう。」と,学生気分でなぁなぁになってしまうことが多かったのですが,これからはそういった甘えは一切排除し,2年後に,社会人として世の中に出たときに恥ずかしくない行動・振る舞いをしていくことを誓います。

最後に,I―CAS議員インターンシップとしての研修は終わってしまいましたが,これからも人生の大先輩として,本橋先生のことを慕い続けていきたいです。先生のように,一つひとつの行動に対し,しっかりと意味づけをし,考えながら動ける大人になり,そして,何時の日か,先生に「お前もやっと一人前になったな。」と言って頂ける日が来るよう,努力と精進を重ねて参ります。先生には多くのご迷惑をおかけしてしまいましたが,私にとっては社会勉強の日々で,とても充実した研修でした。本当にありがとうございました。
 





 

早稲田大学 木村政史


研修を終えて
 

 私は、大学1年の今春、豊島区議会議員の本橋弘隆先生が主催している「本学塾」でインターンをさせて頂いた。2ヶ月の研修期間の中で、ここには書き切れないほどの体験をし、数多くのことを学ばせて頂いた。だが、その経験の根底はいつも「人と人との関わり合い」にあった。

本橋先生は、インターン生に、政治とは「人と人との関わり合い」であるとおっしゃった。その言葉の通り、研修では常に他の人の気持ちまでを意識して行動することが求められた。
まず、研修中はインターン生としてではなく、本橋事務所の一員として行動しなければならなかった。当然立ち振る舞い、言動にも注意する。というのも、もし私のようなインターン生が、不適切な行動をとれば、本橋事務所ひいては本橋先生の品位も疑われかねないからである。そのため、自分の行動が、人にどう思われ、感じられるのかをいつも考えるようになった。

先生にとって、インターン生を受け入れることはリスクにもなる。インターン生が不適当な振る舞いをすれば、先生に多大な迷惑を掛けることになるからである。しかし、そうした危険性にも関わらず、先生は私たちを同伴させ、研修をさせて下さった。私は、社会の厳しさを知らず、失敗ばかり繰り返したし、信頼を失うこともしてしまった。それでも、事務所の一員として受け入れ、社会の厳しさを教えてくださった先生には、感謝してもし切れない。

本橋先生、同じインターン生の仲間たち、今回のインターンに関わって下さった多くの方々のおかげで、2ヶ月を過ごすことができた。まさに「人と人との関わり合い」を学んだ日々であった。

本当にありがとうございました。

明治大学 小室慶太


『気遣いから生まれる政治』
 

大学に入って初めての夏休み、私は本橋先生事務所で研修をさせていただいた。この研修に参加しようと思った理由は、二つある。一つは、地方議員の仕事の概要を知りたかったからということだ。メディア露出が多い国会議員の仕事はある程度知っていたが、地方議員はどんなことをするのか、この研修をするまで検討がつかなかった。二つ目は、このままたいした社会経験もなく、大学4年間を過ごし就職活動を迎える自分に漠然とした不安を感じたからということだ。どのような職業に就きたいかもいまだ明確に決まってない自分に何かきっかけを与えることができれば、と思い豊島区議会議員本橋ひろたか事務所の扉を叩いた。

 結果、私の2ヶ月はかなり実りあるものとなったので、研修を終えた今満足している。本橋先生に教わったことの中で特に印象に残っていることは、「人を気遣う姿勢」である。新聞配りのとき、ただ配ればいいと考えていた私は本当に浅はかだった。つまり、配るだけで自分の義務を果たせると思っていて、もらう人(有権者)の気持ちを考えていなかったのである。そんな私とは対照的に本橋先生は、判子を押す位置や新聞の折り方、渡し方などを全て意識し、それをもらう人がどう思うかということを考えていらっしゃった。こうやって細かいところまで人の気持ちを斟酌することが、地域住民の声を吸い上げてより良い政治を行うためには必要なことなのだと痛感した。

 また長崎神社祭礼の正担当者になった私は、高松三丁目に住む人々とのかかわりが多く、祭礼当日では接待も行なったため、上記のような「人を気遣う姿勢」を身につけるいい機会となった。
年が30才以上離れた住民の方々と打ち解け、ともに仕事をする経験など今までなかったため、かなり難かしい研修であった。常に、「次に自分がどんな行動をとるべきか」と考え、住民の方々が祭礼を楽しむことができるよう行動することを心がけた。つまり、「人に気遣う姿勢」を貫いたのである。そうすると意外なことが起きた。住民の方々が私にも楽しんでほしいと食べ物や飲み物をくださったのである。私は、この住民の方々からのお返しを自分が「人を気遣う姿勢」を貫いたおかげなのだと感じた。すなわち、人に対して「おもてなし」の対応をとり続けるとそれが返ってくるのである。逆にいえば、適当にやっている人間にはなんの対価も与えられない。至極当然のことであるが、このことに気づけたのは、私の2ヶ月間の中でもかなり大きな収穫であったといえるだろう。人と人の関係はgive and takeであり、相手から何かを貰いたい時は、まず先に自分が相手に利益を与える必要がある。社会ではこのルールが徹底されているのだ。人を動かしたければ、自分がその人にとって有益な存在になる必要があるということを身にしみて実感した。

 最後になってしまったが、二ヶ月と短い間だったが、本橋先生にはたいへんお世話になった。また祭礼や盆踊りが開催されるのであれば、ぜひ参加したいと思う。だがそのときは、今以上にもっと人に対して気遣いができる人間になっているつもりだ。
 
 
 
         「政治問題とその改善のために私ができること」
 日本人は政治に関心がなく、投票率が低い。これは、長年言われ続けてきた問題である。比較的投票率の高い北欧の国々では8割以上の人が国政選挙で投票しているのに対して、昨年末に日本で行われた衆議院議員選挙の投票率は、戦後最低の59.32%だった。つまり、10人に4人が投票を放棄しているのだ。
しかし、この「投票率の低さ」という問題は、もっと大きな社会問題によって引き起こされたにすぎないと私は思う。すなわち、それは「国民の意志(民意)と政府の意志が噛み合ってない」という問題である。この問題について例を挙げて説明しよう。今回の本橋ひろたか議員の下でのインターン中、私は母子家庭を支援している社会福祉法人の施設を見学した。そこはかなり充実した設備を持っているにも関わらず、空部屋が存在した。施設の管理者は「もっと新しい住民を増やしたいのだが、行政とのパイプがなく、困っている母子にこの施設を紹介してもらえない」と語っていた。これは、為政者が国民の考えていることを理解できていないということだ。つまり、政治に民意を反映させることができていないのである。反原発を願う人が多いにも関わらず、一部の財界人の意見を尊重して原発の再稼働が閣議決定されたりと、他にも国民の意見と行政の意見が噛み合わない事例が日本にはとても多い。
なぜ日本では、このように国民(地域住民)と政府(政治家)が噛み合わないのだろうか。その原因は、両者の距離が遠いことにあると私は思う。いくつか例を挙げてみよう。
一つ目は、戸別訪問についてだ。選挙中、有権者に直接会ってその意見を聞くことは、非常に大切なことだ。世界の民主主義国家の中で選挙中の戸別訪問を禁止している国は、ほとんどないにも関わらず、日本では公職選挙法第138で禁止されている。これでは、国民の小さな声を吸い上げることなど到底できないだろう。オバマの選挙活動に参加し実際に戸別訪問を行なった明治大学の海野教授は、次のように語っていた。「アメリカの国民と政治家は、お互いに意見交換する機会を設けているという意味で双方向のコミュニケーションがとれている。それに対して日本の場合は、政治家が選挙カーに乗って自分のマニュフェストを宣伝し、人の集まる駅で街頭演説をするだけ。結局これは、政治家から国民への一方的なコミュニケーションになっていて、国民は政治家によって提案された政策を選ぶ権利しか与えられていないのだ。そうなれば自ずと、自分が真面目に政治を考えても仕方ない、という考えが社会にはびこることになる。」
二つ目の例は、ソーシャルメディアの利用方法である。昨今ではTwitterFacebookなどのSNSがスマートフォンとともに普及した。これらを利用して政策や議員の活動をアピールすることが、これからの政治家にとって重要な課題になってくるはずだ。しかし、日本の政治家はこのSNSをいまひとつ利用しきれていないと私は思う。なぜならSNSの「直接会わずとも意見の交換ができる」というメリットを利用していないからだ。彼らは、自分の政策を宣伝したりはするものの、それに対する読者のコメントに返信することが極端に少ない。一部「ツイッター議員」と呼ばれる人の中には、きちんと国民のコメントに返信をする人もいるが、返されるコメントの数は限られている。結局、このSNSを利用しても一方通行のコミュニケーションが行われているのだ。この日本の状況と正反対に位置するのがアメリカのオバマ大統領である。彼は、選挙対策委員の中にネット担当の班を作り、オバマのSNSアカウントに寄せられる質問や批判に対して次々と答えていったのだ。その甲斐あってか、前回の選挙では見事勝利を収めることができた。
以上のようにみてみると、日本の政治は、議員から国民への一方通行のコミュニケーションになってしまっているということが分かる。これでは、民主政治として問題があるし、この状況を改善するにはどうしたら良いのか。
そのためには、政治家と地域住民が政治以外のことにおいても関係を持ち、真の意味での「人間関係」を形成することが必要なのではないか、と私は考える。今回のインターン先の本橋事務所では、その良い具体例を見ることができた。私のインターン先の本橋先生は自分の周りに住む人たちの名前を覚え、道端で会えばその人の体調を気遣ったりしていた。他にも地域の行事(盆踊りや祭礼)などにも積極的に参加し、その運営を中心となって行なったりしていた。そこでの人間関係は、「政治家と住民」という関係ではなく、「人と人」の関係であった。綺麗事かもしれないが、今の日本の政治不信という状況においてはこのような政治的利害が介在しない人間関係が必要なのではないだろうか。人は信用できる人にしか本音を話さないし、逆に信頼している人の意見は積極的に聞こうとするはずだ。
このような政治家と国民の信頼関係を形成するのに私が残りの大学生活で何ができるだろうか。こう考えようとしてみたものの、大学生一人にできることなどたかが知れている。一人では政治、世の中を動かすことはできない。だから、大学の友人など私が関わりを持つ人間に対して、上記のような話をしてみると良いのかもしれない。同じような意見をもった人が増えれば、政治を動かすことができる。また、今後も政治学を研究して、学問的な見地から物事を考えられるようにするということも大切になってくるのだろう。そうすれば、私はまた何か新しい解決策を思いつくかもしれない。
二ヶ月という短い期間だったが、大学一年の間にこのような体験ができたのは私にとって大変有益なことであった。今後も日本の社会問題について考え、そして発信していきたい。

 

青山学院大学 中村えりか


「インターンシップを通じて感じた日本の社会問題と、
それを解決するために学生時代に何ができるか」

2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まり、7年後に向けて盛り上がっている日本。だが、日本には東日本大震災の復興や福祉、増税など多くの問題が積み重なっているのも事実である。これらの社会問題は早急に解決を求められているものもある。

今回の豊島区議会議員の本橋弘隆先生の下でのインターンシップを通じて、教育や福祉、経済など多くの問題に触れ、いま政治家たちがそれらに対し、どのように考え、取り組んでいるかを目の当たりにした。そしてその経験を通じ、政治家だけでなく私たち国民も、より社会に参画意識を持つことが必要なのではないかと考えた。

その中でも、1番関心を持ったのが教育問題であった。そもそも今回、私が本橋先生の議員インターンシップに参加しようと思った経緯は、日本の政治、特に教育についてよく知りたいと考えたためであった。それは、所属している学生団体で発展途上国にボランティアに行った際に感じたものだった。

世界には、生まれた国や地域が違うというだけで、最低限度の生活も確保されていなかったり、学校に行けないなど満足な教育が受けられなかったり、と福祉や教育を始めとする様々な部分で苦しんでいる子どもたちがいる。学校に行きたくても行けない。夜に勉強したくても、勉強するための電気がないから勉強できない。これらはいかにして解決の道が切り開かれるのか。

こうした実体験を通して、世界の現状、政治について関心を持つようになった。だが、その前に日本の政治について知らないことが多く存在するということに気付いた。そこで、自分自身が日本の経済や福祉、そして教育など日本に関してより知識と考えを深めなければならないと感じ、本橋先生への下への参加に至ったのだ。

今回の活動の一環で、本橋先生の地元で発行されている雑誌の記事に関して取り組んだ。それはいまの同世代による、「バカッター」という事件に関するものであった。この「バカッター」というのは、ツイッターなどのSNSで、飲食店でアルバイトをしている学生が自店での不衛生な行動をしたり、ディズニーリゾートに遊びに行った学生がアトラクションの最中に危険な行為を起こす、などの不適切な画像を投稿することをいう。

このようなことをインターネット上で公開すれば、非難が集まるであろうことは理解できるはずなのに、どうしてこのような事件が立て続けに起こるのか。恐らく、彼らはツイッターやフェイスブックなどのSNSを不特定多数の人に見られていると思っていないのだろう。そして、このような事態が家族や学校に迷惑をかけ、想像以上に深刻な問題になるというところまで考えが及んでないのかもしれない。

こうした事件が相次いで起こっているのは、日本教育の「貧困」にも関係しているのではないかと考えた。児童の約6人に1人が「貧困」であると言われている日本。生まれる家庭によって、十分な教育が受けられない子供がいるのは、すべてが親の自己責任というわけではないと思う。実際、2011OECDが調査した、教育費の公的支出額の国際比較を見てみると、OECDの先進国の中で、日本は公的な教育支出額の割合が最も低い水準であることがわかっている。一方、水準の高い国、例えばスウェーデンでは、小学校から大学卒業までは、家計負担がほとんどない。ここから教育費は税金で賄うという福祉国家的な教育観が強く根付いていることがわかる。

以上のようなことからも、国として教育により力を入れていけば、今回のようなモラルやマナーの面での問題も少しは改善されるのではないかと考えた。

今回の本橋先生の下でのインターンシップを通じて、日本の政治を中心となって動かしている政治家たちは普段どのような仕事をしているのかを学べたと思う。豊島区という行政ばかりではなく、先生の支援者や地元の人との交流であったり、事務作業であったり、と生の政治を見ることができた。

「百聞は一見にしかず」ということわざがあるように、耳にするだけではわからないことが沢山あったように思う。自らの肌で触れ、目で見てこそ、初めてわかることが多かった。

例えば、議会や委員会での進行方法や、議案に対する発言にも政党ごとの色が出ているのを見れたことなどが挙げられる。議会や委員会は手続きをすれば、傍聴できるものも多くあるが、普段なかなか足を踏み入れることはない。ましてや、政治家のインターン生としてこのような活動に携われることは滅多にない貴重な経験であったと感じる。

政治は学生の中で、堅苦しいだとか、真面目というイメージがあると思うけど、それは政治について詳しく知らないから、というのもあるのではないだろうか。人は関心のないことに対して知らないのではなく、知らないから関心を持てないのだと考える。私自身も今まで知らなくて、関心がなかったものがあった。

だが、実際に今回のインターンで、「知った」ことで関心を持ったものもいくつもあった。だから、まずは「知る」ということが大切だと思う。なので、私はこの経験を多くの人に話して伝えたいと思う。そして、今後の社会を担っていく同世代の若者に政治の面白さ、重要さを少しずつでいいから「知って」もらいたい。そして、「知る」ことによって、興味が生まれ、さらにそのことについて知りたいと思い、自らが行動し、新たな一歩を踏み出すきっかけを少しでも与えられたら、と考えている。

そして自分自身も、人に話すことでより自分の中で落とし込みをしたり、考えを深めたい。なので、まずは身近な問題を取り上げていき、それを「知る」ことから始めようと思う。その上で自分の頭で考えて、たくさんの人と交流し、様々な価値観や考えに触れて、それを吸収し、幅広い視野を持てる人になりたい。そのために、残りの大学生活では、社会に参画意識を持つことは勿論だが、人との出会いを大切にしていきたいと考えている。