2007年11月18日日曜日

東京大学 徳永 祐一

 私は2005年の2月から3月まで、NPO法人ドットジェイピーを通じての「議員インターンシップ」という形で、本橋さんのもとで政治を学ばせていただきました。しかし言わずもがな、それで政治の何たるかを全て知ったわけではありません。そこで本稿では、私が学んだ、政治の「断片」とでも言うべきもの、すなわちこの2ヶ月間に垣間見たものについて書かせていただきます。

 今思えば、この2ヶ月は瞬く間に過ぎ去りました。そもそも私がこの「議員インターンシップ」に応募した契機は、一言で言えば「本物の政治を見たい」という思いでした。「政治家は悪巧みばかりしていて、税金を無駄遣いしている人間の集団である」と、そう言わんばかりのマスメディアの一方的な言説には昔から辟易していた私ですが、そこでマスメディアに文句を言うだけでは非生産的であると考え、本物の政治、つまり政治の現場を自らの目で見る必要性を感じたわけです。

 本橋さんにお会いする前まで私は、「政治とは国益を最大化するための営みである」と、正直その程度にしか認識していませんでした。その認識自体は、あながち誤りではないかも知れません。しかしこのインターン期間中に、私はもっと大事なひとつのことに気付かされました。

 それは他でもなく、「政治の世界における人間関係の重要性」です。本橋さんのお言葉を拝借すれば「義理人情」です。国益云々というマクロ的な視点のみならず、政治にはこのミクロ的な視点が不可欠だということを、私はこの2ヶ月間で学びました。その理由を挙げるとすれば、例えば有権者が投票を行う際には、政策云々よりもまず、候補者の印象や人間性といった要素が大いに絡んでくるということです。これは人間が人間たる所以とも言えるでしょう。従って、いかにその要素を排そうとしても、人はそこから自由にはなれないということです。

 私はこの2ヶ月の間に、様々な場に参加させていただきました。自民党豊島総支部の朝食会に始まり、婦人会の懇親会、本橋さんの後援会新年会、豊島時事問題研究会など、数多くの貴重な体験をさせていただきました。そしてそのほとんどが、信頼ある豊かな人間関係によって支えられていると気付きました。ここでも先に述べた人間関係の重要性を再認識すると同時に、演繹すれば、政治以外のどの世界でもこのことは最も重要であると確信しました。

 ところで、かの「明治維新」が起こるまでには3つの段階があったと私は認識しています。まず吉田松陰に代表される「思想」、次に大村益次郎に代表される「戦略(技術)」、そして西郷隆盛に代表される「行動(維新)」です。この3つが揃って初めて政治改革が実現するとすれば、「思想」を発展させる「土壌」とでも言うべき豊かな人間関係が、何事にも優先して根本的に重要であることは言うまでもありません。実際に吉田松陰の松下村塾においても、緒方洪庵の適塾においても、そこに豊かな人間関係があったればこそ、塾生たちは互いに切磋琢磨して学問に励んだのです。

 やや話が逸れたので元に戻します。繰り返しますが、私はこのインターン期間で、政治の何たるかを全て知ったわけではなく、あくまでその一断片である人間関係の重要性を垣間見ただけです。その実践も十分に行ったわけではありません。これから私は、引き続き本学塾生として、本橋さんのもとで政治を学ばせていただくつもりですが、小さくも貴重なこの断片をポケットに持ちながら、今後努力したいと思います。
 最後になりましたが、至らぬところが多々あった私を2ヶ月間指導して下さった本橋さんをはじめ、ご家族の方々、後援会の方々、区議団の方々、そして共に学んだ友人たちに厚く御礼申し上げます。誠に有難うございました。

東京大学2年 徳永 祐一

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